2008年2月10日日曜日

図書館戦争シリーズの設定を追求すべきではんないだろうけど…

追記1
小学校からの配布物をみるとどうも保護者迎合であり.サービス産業としての位置取りを明確化しているように思う.ある種の責任転換でもあるわけだが.時代の変革速度が速いためか自分の小学校時代と比べてもどうもピンとこないことが多すぎる.おそらく今,子育てをしていない人の意見は自分の育ったころを前提としていると思うのだがその前提はあまり意味をなさないと思うw.祖父母の意見なんてもっと噛み合ないw.

追記
最近友人に子供の事で自分達の現状を踏まえて
「どうせ(親の)思い通りにならないんだからそんなに心配しなくても良いのではw.」
と言われてそれもそうか笑った事を加えておく.



まぁあれの設定をあれこれいうのは無粋というモノだろう.でもちょっと頭の片隅に留めておくと今の「携帯電話コンテンツのフィルタリング」が,ちょっと気になってきた

「情報の選別を子供はできず,そこから遠のける事が大人のなすべき事」なのだろうか?取り締まるべきは犯罪であって閲覧行為ではない(どこかの記事で子供が指摘していた.).子供が「大人のすること」として自分達の触れる情報の選別を「あたりまえ」のように受け入れる事は危惧すべき事態なのではないだろうか?
#むしろ携帯電話設計の秘密主義がこの問題の本質だと思うところが大きいのは偏見だろうか?

良い人だけで世界はできていない.遅かれ早かれ悪い人(たんに意見の違うヤツかもしれない)にも出会うのだ.そのときそれに対処するのはその場にいる本人だけだ.そんな情報に出会ったときにどうしたらいいか,出会うとどなるか?本人が意識できるように,できるだけ早く,(悪意のあるサイトより)先に,情報を与えなければ対処なんてできない.(いじめも究極的にはそこにいきつくのでだからこそ発生後の対応はむずかしいのだと思う.)もちろん悪い人より良い人が多いから社会は成立しているわけだと思うが.(私の理解不足?)

…などと使い古された思考だろうが書き残してみる.
「ー大体 子供は子供なんだから 大人が子供の意見を聞く必要なんかー」

あと初音ミクになにをしゃべらせるかを「使用許諾」で制限するというのは新しい表現の制限のように思えてこのあたりの今後の展開は興味深い.(私の理解不足?)

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